DAIさん帝国の昼メロ展開あり、修羅場展開ありの一方通行片想い青春群像劇、『true tears』経由でtrue tearsを7話まで視聴した。

富山の高校に通う5人をメインにした青春群像劇なのですが、美麗な背景と作画、しっとりと情感漂う雰囲気で描かれた物語は何とも素晴らしいです。そして3話くらいから始まる恋の一方通行片想い連鎖が物語を盛り上げていき、どんどんと昼ドラ的ドロドロ感を高めていく感じも素晴らしいです。7話なんてド修羅場展開で最高にニヤリングしておりましたしね。

内容は、引用のDAIさんの評価通り、正しく昼ドラ的展開だと俺も強く感じた。どうでもいいが、藤原啓治と名塚佳織は食傷気味。

 

それで、俺の評価はどうなのかを書くと、終始どうでもいい感じ。DAIさんが「素晴らしい」を連発しているので、かように素晴らしいのかと期待して見れば、肩透かしで、バッチコーイ!ってならない。語弊があるかもしれないので補足すると、つまらない訳ではなく、「どうでもいい」のである。

 

このどうでもいいという感情を解明していくと、まず、ギャルゲーや萌えアニメにありがちな、登場人物に感情移入できない。だから、愛子が眞一郎にキスしようがどうでもいいし、乃絵と比呂美が喧嘩するシーンを見ても、カタルシスがない。個人的な疑問だが、乃絵と比呂美の喧嘩のシーンを、何故喧嘩したのか理論的に説明できる猛者はいるのだろうか。作品の登場人物の感覚と僕達私達の感覚に無限の距離(ズレ)があるのは、現実が希薄である故に虚構を求めるオタクの心理が作品に反映されているのでそこを否定するつもりは無いが、true tearsに欠けているのはその「ズレ」を敢えて作中で指摘する登場人物だと感じる。

 

お笑いの話になるが、漫才でいうところのボケはズレを作り出す役、ツッコミはズレを分かりやすく示す役だと俺は考える。では、ズレとは何だろうか。以下に簡単な例を出す。

(1)銀行に強盗がやってくる(2)強盗は職員に「金を出せ」と要求し、懐に手を入れる(3)すると、中から出てきたのはバナナだった!

本来出てくる物は拳銃でなければならないのに、バナナが出てくる(ボケ)ことによってズレが生じるのである。この空白地帯をツッコミが観客に対し分かりやすくズレを提示することによって、そこに笑いが起こる。お笑い芸人とは、ズレを発生させ、回収する、マッチポンプだと言える。このズレは何も意図的に作り出すばかりでなく、日常に転がっていくズレを拾っていくスタイルもあるし、ちょっとしたズレを最大限に利用するのもよし、ズレてないものをズラすのもよしである。

CLANNADは春原がいなければ凡作又は駄作であるのは自明で、何故かを敢えて書くと、彼がいなければ投げっ放しのボケを回収する存在がいなくなるからだ。彼がツッコミ役として機能しているからこそ、朋也のボケが冴えるのである。(もちろん朋也がツッコミに回ることもあるが、やはり春原が最上)

 

true tearsに欠けているのは「ズレ」を提示する人物だと上述した。true tearsはズレている。一番分かり易いのは乃絵で、彼女は狂っている。(敢えて電波とは書かない)最初、狂っているのは乃絵だけだと思っていたが、他の登場人物も狂っているor余裕が無いので、乃絵のズレをツッコむ役がいないのである。よって、狂っている筈の乃絵に対し、恰も自分と同じ土俵にいるかのように錯覚して、取っ組み合いを始める比呂美のような人物が出てくる。

普通なら風子に対する朋也のように、ズレを指摘する良識ある人物の代表が主人公なのだが、true tearsの主人公は狂っているから、僕達私達は唯煩悶するしかない。眞一郎は正常だよ!という反論を潰しておくと、眞一郎は6話で比呂美が母違いの兄妹だと知るが、そこで眞一郎が考えるのは、もし真実なら好きだった比呂美と付き合えなくなるかもとかセックスできなくなるかもとか、どうでもいいことばかりである。もっと一人の人間としてやるべきことは沢山あって、例えば父親を詰問するなり、軽蔑する、もしくは母親に何故比呂美には告げて自分には告げないかの問責をするべき、と言うか普通するだろう。この、一家が瓦解するような重大な過去を目前にして、彼の興味の対象は上述したように、誰と付き合うかの一点張りである。このボケ(!)に対して、俺は登場人物の誰かにツッコんで欲しい。(切実に)

恐らく最もオタクが好みそうな安藤愛子について述べておくと、

オレ的オススメNo.1。なぜならば報われない切ない片想いキャラだからなのだー! 距離が近すぎるが故に想いを口に出来ないでいる感じが何ともオレを身悶えさせます。

DAIさんには悪いが、報われないのではなく、最も報われているのに(野伏の存在)、それに気づかないピエロ的存在なだけだ。俺の言葉で表現するならば、彼女は気づきを得ていない。もしくは気づいているのに(彼氏がいるのに)、他の男に行く嫌な女である。ただ、近い者ではなく、遠い者が勝つという現代の恋愛観念から推し量ると、正しい存在であるのかもしれないと補足しておく。ただし、それはオタク的ではなくて、やはり昼ドラ的なのだ。個人的には、ひぐらしのなく頃にの詩音のような、「超」純粋な切ない片想いキャラが好きだ。

 

昼ドラ的恋愛観の反復を、オタク的恋愛観のアニメでやる必要があるのかと俺はつい思ってしまうが、その問題を突き詰めるとtrue tearsの根幹を崩してしまうので、やはり封印することにする。