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2008年03月22日 01:27

「終わった」…。



3on3があった16話からずっとアニメ版CLANNADを追ってきたので、普通に考えれば大々的に「総評」とかする筈だけど、そういう気が全く起こらないのは何故だろう。泣くって言うより、笑いが込み上げてくるのは何故だろう。充実感どころか、逆にニヒリズムに陥っているのは何故だろう。「終わった」…この一言で全てを表せる「素晴らしい」最終回だった。



個人的に二度と見返したくない心境なので、記事を書けていない15話までの補完を含めた総評はしないけれども、評価は書いておく。

アニメ版CLANNADは、高評価なものから順に、S、A、B、C、D、Eと分けられた私的なランキングでは、「C」ランクに当たる。ちなみに、Cランクはどのような作品群を表すのかを書くと、真ん中にあるので、文字通り「普通」。悪い訳でもなく、かと言って良い訳でもなく、何処までも「普通」。絶え間無く「普通」。この評価は、原作と比較しないで、一つのアニメ作品として客観的にアニメ版CLANNADを見た評価である。偉い人が、「人間は完全に客観視することはできない」と仰っているので、完璧ではないと思うが、なるべく私的な善悪を挟むことなく、公平且つ正当に評価を下した。

一方、主観で語ると…「E」ランクだよ、「E」ランク!ちなみにEランクとは、「つまらないばかりでなく、見ていると不快になってくる作品群」である。

そもそも、俺がアニメ版CLANNADを見始めた最大の理由は、京都アニメーションの絵で、動き、喋っている汐を見て、悶えながら「はぅ〜かぁいいよ〜お持ち帰りぃ〜」とか言いたいがためであったので、最終話まで一コマも出てこなくて、尚且つ予告の番外編を見ても汐登場が絶望的だった現実を目の当たりにすれば、必然的にEランクになってしまう。それでも、22話を見るまでは(21話までは)話の筋に関係なくても、ほんの一瞬くらいは汐を登場させるだろうと期待していた。渚ルートの後に、早送りと言うか、パッパッパとアフターストーリーの重要な場面を映すみたいな演出があることを期待していたんだよ。だって、オープニングで汐走ってるし。結局、蓋を開けてみて絶望した訳だけれども。

でもやっぱり、どう考えてもオープニングで走らせてるのは詐欺だよ、あれ!アフターストーリーやらないんだったら走らすなって話で、視聴者(俺)に期待させといてどん底に突き落とすのはどうかと思う。何よりも、原作をプレイしてない人は終始「この娘誰?」って感じじゃないの!と言う訳で、オープニングで花畑を走ってる娘を見て、「この娘誰?」と疑問に思った方は、原作CLANNADを是非。



ロリコンの戯れ言はこのくらいにして、最終話について少し考えていきたい。

序盤、「夢」を諦め、役者から、又は教師から、パン屋に「転職」した両親に対して、渚は申し訳無く思う。特に、演劇の役者だった秋生を知り、皮肉にも文化祭で同じ「演劇」をやろうとしている自分は、恩知らずで、酷い子供だと感じる。

渚「わたしはひどい子供です。恩知らずです。岡崎さんにもそうです。自分の夢を叶えるために、皆さんの時間をたくさん使わせてしまっています」
朋也「俺たちは好きでやってるんだ。今おまえがくじけちまったら、俺たちのしてきたことが無駄になっちまう。みんなでここまでやってきたんだ、頑張ろうぜ」

(アニメ版CLANNAD22話■影二つ)
この会話を聞いて、嫌な予感がした。渚が「岡崎さん」と言った後で、「皆さん」と対象を変えているところに、原作の台詞からの抜粋と、アニメ版CLANNAD独自の脚本との継ぎ接ぎ感が出ている訳だが、これは問題にしない。「朋也達のしてきたこと」って何だよ、何もやってないように見えたけど、もしかしてあの発声練習のことか?とか思いはするが、これも問題にしない。

それよりも重要な点は、朋也の語る言葉が「友情・努力・勝利」になっているところだ。これは前回の記事で書いた「大きな家族」の物語性を暗示する訳だが、同じく前回の記事で書いたように、これから「小さな家族」の物語になりつつあるのに、少年ジャンプ的展開が混交するため、どっち付かずの内容になってしまう恐れがある。だが、後述する通り、これに関しては杞憂だった。

渚との自由行動のシーンは、冗長で、不必要に感じる。原作ではそのようなシーンは無く、朋也は早苗を案内するだけに留まる。そもそも、本番当日なのにそんな暇があるのかと言う疑問も、やはり問題の内には入らないのだろうか。

この自由行動の結果、渚は父秋生の過去の演劇を見てしまう…のだが、「高校演劇コンクール」のビデオは画面から読み取れるだけで少なくとも92本はあるけれど、それを全部渚は短時間でチェックしたのか。そして、丁度秋生の演劇を見ているところに朋也が登場する訳か。どんな偶然だよ、と言う突っ込みは野暮だろうか、否、野暮じゃない筈だ。

渚の瞳に映るビデオの光も相俟って、何か渚怖いし、態々本番前に父親の演劇を資料室へ見にいく渚の気持ちが良く分からない。逆に制作側の気持ちは良く分かって、秋生の説得シーンで泣かせるための詰まらない小細工なのだろうが、やり過ぎに思える。唯でさえ予想が付き易い王道的展開を、勿体振って大仰に引っ張る制作側が信じられない。

渚は、演劇本番直前に演劇部員から励ましの言葉を受ける。原作CLANNADとアニメの春原は別人であると20話のエントリで書いたけれど、春原が春原ではないどころか、演劇部員が沢山いる弊害で、「演劇部員A」として埋没している。僕達私達の大好きな春原が端役になっている。アニメ版CLANNADの春原の役割って何だろう。普段はバカやってるので本当にバカに見えるが、その実切り替えが上手くて、困ったときには適切なアドバイスをくれる、頼もしいあの春原が、アニメ版CLANNADでは唯のピエロで終わってしまった。この事実は、俺の頭の片隅で永遠に残るだろう。

色々と間然してきたが、秋生、早苗、朋也による渚説得シーンは大変に秀逸である。秋生が登場するまで、多少引っ張り過ぎた感はあるが、それでも、秋生の台詞は原作同様、涙を誘う。

夢を叶えろ、渚あぁぁーーーーっ!渚あっ!馬鹿かおめぇは!子供の夢は親の夢なんだよ!おまえが叶えればいいんだっ!俺たちは、おまえが夢を叶えるのを夢見てんだよっ!俺たちは夢を諦めたんじゃねぇっ。自分たちの夢をおまえの夢にしたんだっ!親ってのはそういうもんなんだよっ!家族ってのは、そういうもんなんだよっ!だから、あの日からずっと…。パン焼きながら、ずっと…。俺たちは、それを待ちこがれて生きてきたんだよ!ここでおめぇが挫けたら、俺たちは落ち込むぞ、てめぇーーっ!責任重大だぞ、てめぇーーっ!!

秋生については既述した通りだが、もうこの台詞だけで、俺の書いてきたことが全て包含されているので、改めて書くことは何一つ無い。原作と照らし合わせてみても、言い回しを含めた全ての台詞の一字一句が、原作と同じだった。

そして、その直後の朋也の説得も涙腺を刺激させる。台詞の美しさもあるが、それよりも良いのは、「俺や春原ができなかったこと」と発言した直後に流れる、「朋也の挫折」と「春原の挫折」の二つのバンクだ。このシーンでこの二つを挿入するのかと、舌を巻いた。あの一瞬のバンクだけで、二人が味わった挫折感と悔しさがとても分かり易く表現出来ている。本来バンクとはこのように使うのだと、見本を示すような卓抜したセンスだった。

そのバンクと共に語られるのは、朋也の「夢、目標」の物語だ。自身の「夢、目標」を失った朋也は、代わりに渚の「夢、目標」を手伝っていく。その中で、渚の「夢、目標」が、何時しか自身の「夢、目標」になっていたことに気づく。朋也は、自分の内からは「夢、目標」を見出すことが出来ない、不器用な人間だった。

前述した「少年ジャンプ的展開」による杞憂は、余計な心配だった。俺は朋也の「友情・努力・勝利」発言から、秋生、早苗、朋也に続いて、春原、杏、椋、ことみが、いや、演劇部員だけでなくそれ以外のメインの登場人物皆で、「渚頑張れ!」の大合唱をやることを危惧した。そんな展開になってしまったらそれこそ目も当てられなかった訳だが、最悪の事態は回避できたようで、安心した。でも、「大きな家族」の物語を散々強調していたのに、何故ここで「大きな家族」をやらなかったのだろうかと今でも疑問に思っている。

さて、秀逸だったのはここまでで、以降は冗長で退屈で間に合わせのストーリーが展開する。アニメ版CLANNADは多くの回で、中盤が盛り上がり、終盤にシフトしていくと共に失速していくが、最終回も例外ではなかった。

直幸の唐突な登場と、意味不明で中途半端な和解(?)があり、その後に、打ち上げと称して見せられる「大きな家族」、そして、ラストの告白…。「影二つ」と言うサブタイトルを見たときから不安に思っていたことが、現実となった。影二つをバックにして描かれる告白と、ラストの一コマが相合い傘に模した二人の名前と言う衝撃的な映像だったことから、京アニ側による、アニメ版CLANNADのテーマが鮮明に示された。

アニメ版CLANNADのテーマ、それは、「恋愛」であると…。告白!恋愛!相合い傘!恋愛!フィニッシュ!…あれ?…「家族」は…?

原作CLANNADが好きな一人のオタクとして書かせてもらうと、「アニメ版CLANNADは“CLANNAD”ではない」。CLANNADの贋作か、CLANNADを真似た模造品だ。まさか「恋愛」で終わるなんて…CLANNADに描かれる「家族」を真剣に論じてきた身としては、開いた口が塞がらない。もうこれは「CLANNAD」とは全く別の作品なのだ。

「原作の渚ルートも終始恋愛だ!」とか言う反論が来そうだが、「だったら最初からアフターストーリーをやれ」と言う。大人の事情や時間的な余裕でそれが出来ないのであれば、「アニメにするな」と言う。

ともかく、原作CLANNADとアニメ版CLANNADは最初から180度方向性が違ったことが判明した。もちろん、「アニメ版CLANNADが好きだ、あの終わり方最高!」と言う人はいるだろう。それを踏まえた上で、「主観で」断言させてもらうが、「アニメ版CLANNADは原作CLANNADの足下にも及ばない」し、「恋愛」をテーマにした作品だったら巷にゴロゴロしてるのに、それをCLANNADでやるなんて、愚昧も愚昧、以ての外だ。

あえて書こう、アニメ版CLANNADは「終わってしまった世界」であると!「この町と、住人に幸あれ」とかの名台詞がアニメで聞きたかった…。



そもそも、

お返しですっ

とかに代表される渚の台詞には、違和感がある。原作の設定を無視か勘違いして、キャラクターを作っているようで、原作CLANNADをきちんとブレイクダウンしていなかったのではないかと感じる。

朋也も結構違和感があって、朋也ってもっと冷めてて、「告白前に頬を赤らめて動揺」何てしないくらい落ち着いてて、それでいて結構エロくて、

俺の彼女…乱暴に言ってしまえば、俺のもので…他人がしたいと思ってもできないことでも、俺なら許されるんだ。渚に片想いの奴め…うらやましいだろう。

(原作CLANNAD)
とか心の中では意外に舞い上がってるような親しみ易いキャラなのに、アニメの朋也は何か「ピュア」で「寛大」みたいな…。

告白のシーンも原作の方がやっぱり上手で、恋の告白って言うよりも、二人三脚で生きていく「家族」の誓いって感じがする。以下に、原作CLANNADの告白シーンを引用する。


古河「とても楽しかったです」
朋也「なにが」
古河「一緒にがんばれて、です。目的は達成されなかったですけど、もっと大切な色々なものを手に入れました。岡崎さんと、とても仲良しになれました。春原さんとも仲良くなれました。こんなわたしでも、です。こんな不器用で泣き虫な…わたしでも、です」
朋也「そうだな…。でもな、古河。おまえは、ずっと強くなってるよ。あの坂の下で、悩んでた頃よりさ。不器用でも泣き虫でもさ…。ここまで、頑張ってきた。自分のことのように、他人の心配までしてさ…頑張ってきた」
古河「本当でしょうか」
朋也「ああ、少なくとも俺はそう感じたよ」
古河「だったら、うれしいです。わたしは…体は弱いですが…。くじけないように、強い子になろうと生きてきたんですから…」
唐突に、古河の目の端から涙がこぼれる。
古河「うれしいです…。よかったです…」
そして…顔を伏せて、両手で目を押さえて、泣き始めた。俺は古河の頭に手を置く。
古河「また…ですか?」
朋也「………」
体が自然に動いて、俺は古河の体を後ろから抱きしめていた。
古河「そんなことしないでほしいです…。そうされると…安心して泣いてしまいます」
朋也「もう、泣いてるじゃないか」
古河「そうですけど、もっと泣いてしまいます…」
朋也「いいんだよ。悲しいことがあったんだから、泣けばいい」
古河「………」
古河はしばらく泣き続けた。俺はずっとこうしたかった。そんな気がしていた。こいつのことが愛おしくなると、無意識に頭に手を載せていた。けど、本当はこうやってもっと近くで、慰めてやりたかった。俺を支えてくれた小さな存在を…支えてやりたかった。安心させてやりたかった。
朋也「なぁ、古河」
古河「はい…」
朋也「明日、朝起きたらさ…。俺たちが恋人同士になっていたら面白いと思わないか。俺がおまえの彼氏で、おまえが俺の彼女だ。きっと楽しい学校生活になる。そう思わないか」
古河「思わないです。きっと、なにをやっても失敗するわたしに、腹が立ちます、岡崎さん」
朋也「そんなことない」
古河「どうしてですか」
朋也「…俺は古河が好きだから」
俺はそう告白していた。
朋也「だから、絶対にそんなことはない」
古河「本当でしょうか…自信ないです…」
朋也「きっと楽しい。いや、俺が楽しくする」
古河「そんな…。岡崎さんだけ…がんばらないでください。わたしにも…がんばらせてください」
朋也「そっか…」
古河「はい…」
朋也「じゃあ、古河…頷いてくれ、俺の問いかけに」
古河「………」
朋也「古河、俺の彼女になってくれ」
古河「………」
少しの間。振り返ることもなく、頷くこともなく…ただ、小さな声が聞こえてきた。よろしくお願いします…と。



アニメは普通の高校生の告白になっていたけど、原作は不自然な程落ち着いていて、恋人同士になることが恰も「必然」であるかのような会話の流れだ。そして、告白と一緒にBGM「渚」が流れてて…。最終話まで引っ張った割りにこのシーンには勝てていないと感じる。


渚「わたし、日直になってますっ」
朋也「ああ、ずいぶん前の落書きだな、忘れてた」
渚「朋也くんですかっ」
朋也「ああ、そうだけど」
渚「もう、こんなことしたらダメです」
渚は、チョークを手に持つ。…チョーク?渚は、自分の名前の隣に、何かを書き足す。
渚「わたしひとりにしたら、ダメです」
…岡崎朋也。俺の名前だった。
渚「なんでも、一緒がいいです」
朋也「ああ…そうだな」
すごく幸せな気分になる。
朋也「でも、なんだか…自分たちで相合い傘を書いてるようで恥ずかしいな」
渚「そうですか? ちょっと恥ずかしかったですか」
朋也「ちょっとだけな。でも、この場所は、当分誰も訪れないだろうからな。もし来年、新入生が入ってきて、また演劇部を作ったとしても…。その中に、俺たちのことを知る人間はいないし…。このまま残しておいても、いいんじゃないかな」
渚「じゃ、ずっとこのままです」
朋也「ああ」
渚「ずっと、一緒です…えへへ」
これは記念だ。俺たちが、ここで一緒に過ごして、頑張ったという。そして、俺たちは出会い、付き合い始めたという。



こちらも原作CLANNADからの引用だが、アニメ版CLANNADで描かれた相合い傘のシーンと似て非なるものであることが分かる。原作はこの先も続いていく「永遠」を約束しているが、アニメは告白をして終了と言う流れも相俟って、「渚に告白する→告白成功して晴れて恋人同士→ゴール」と言うように、告白することが目的であったかのような作りになっていた。

敢えて引用しないが、原作の渚ルートラストに映し出される、「長い、長い坂道」を二人で手を繋いで歩いていく一枚絵と、朋也と渚の台詞は大変心温まるシーンなのに、それを京アニは省いている。「長い、長い坂道」はCLANNADの象徴だと俺は思っているので、納得がいかない。「CLANNAD」を構成する上で重要なシーンを省いて、その尺を、どうでもいいアニメオリジナルシーンに費やしているのだ。

そして、重要なやり残しとして、アニメ版CLANNADでは朋也の呼称が「朋也くん」ではなく、終始「岡崎さん」で終わっている。

上述した通り、アニメ版CLANNADが好きだと言う人がいるだろうということはもちろん分かっている。そこで、正否を判断してもらうために、原作の引用をしてみた。もし、原作未プレイの方で興味があるなら、是非プレイしてみて欲しい。



番外編は見ないかもしれないので、アニメ版「CLANNAD」の終了に伴い、以上で一応の終わりとしたい。この長文をここまで読んで頂いた方には、深く御礼を申し上げる。あゆみ先生の次回作「アニメでアフターストーリーをやらないんなら俺が補完してやるぜ!」にご期待ください。

うしおっうしおっうしおっうしおっうしおっだいかぞく♪(うしお うしお うしお うしお うしお大家族)

あかちゃん〜うしおは、い〜つ〜も、しあわせ〜のなかで〜♪(赤ちゃんうしおは いつも幸せの中で)

ようじょの〜うしおは〜………
by.  URL ...2008年03月22日 16:34

二期をやるのは確定のようです。
家族分はアフターで一気に補充できるようにするためにあえて地盤を固めたのではないでしょうか。
実際、ゲーム版の渚ルートはアフターありきの終わり方をしていますし、
二期まで時間が空くことを考えると原作未見組のためにも一度物語を綺麗に終わらせる必要があったのではないかと。
…まぁ、確かにあの構成でOPに幻想世界→少女→風子→汐コンボを持ってきたのはある種生殺しではありますが。
by.通りすがり URL ...2008年03月22日 19:05

>>「高校演劇コンクール」のビデオを全部渚は短時間でチェックしたのか。

ここが少しだけ気になったので。
渚は父親がコンクールで優勝した事実を知っていたのだから、いつの大会で優勝したかも知っていてもおかしくないのでは?
なら、探すのも見るのも簡単ですよね。
by.  ...2008年06月11日 18:11

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