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2008年03月20日 14:46

前回のエントリは他の人のレビューを全く読まずに書いた。未プレイの人達に向けて書いた前回の記事が「表」だとしたら、今回の記事はクリア済みの人に向けた「裏」である。よって、ネタバレ満載だ。



クリア後に12RIVENの批評を色々と読んでみたけど、一枚絵が作画崩壊しているとか、ストーリーが説明不足だとか書いている人達が多くて、かなり驚いた。俺以外の人もべた褒めしていると思ったのに、蓋を開けてみれば、「面白いんだけど何かなあ」みたいな、どっち付かずの批評で溢れていたからだ。俺は12RIVENの諸所の欠点を無視して書いたので、前回のエントリに対して苦情があるかもしれない。12RIVEN未プレイの人に興味を持ってもらうため、プレイしてもらうために、意図的に脚色をした文章であるので、そういった苦情に関しては甘んじて受けるつもりだ。

殆どのブログで1枚絵については大変酷評だったことから、俺の見方と他人の見方は大きく懸隔していることが分かった。こっちの方向に持っていくつもりは無いが、あるときからオタク達は、「クオリティ」や「作画崩壊」と言う言葉に代表されるように、作画の出来が作品の評価の一部に、又は全体に関わるものとして、重視してきた。ゲームやアニメ等、オタク作品全般の評価の対象がそうだし、12RIVENはギャルゲーと言うことも上乗せされて、作画について厳しい目で見るのだろう。

さて、パフォーマンスではないが、俺はオタク的視点から一歩引いた視点でいつも作品を見ている。否、「見てしまう」。12RIVENもそうだった。だからだと思う、一枚絵に対して違和感を余り抱かないし、そもそもそこまで興味の対象にはならなかった。前回のエントリで一枚絵についても言及しているが、便宜的に書いただけで、そこまで深くは考えていない。

ギャルゲーの絵、12RIVENの絵は、それこそ「ALL IS VANITY」であり、「見る人によって見方が変わる」。これは一個人の予測でしかないが、オタクに対しての「一般人」の人達がもし12RIVENをプレイした場合、「作画が酷い」とか「絵のクオリティが」とか言わないんじゃないだろうかという確信に似た思いがある。そういう意味では、あの記事はオタク向けに書いた記事ではなく、「一般人」向けに書いた。

又、もし一枚絵が精密だと、その分立ち絵の違和感(二人のミュウ等)の「意味」に気づき易くなる。一枚絵が出鱈目だから、立ち絵も違和感があって当然だと「無意識」に思えたとしたら、作中のトリックとしてプラスになっていると言える。

12RIVENはインフィニティシリーズ常連向けの作品だとする評価もあったが、俺は決してそのようには思わない。更に書くと、ギャルゲー慣れしている人向けの作品だとも思わない。寧ろ逆に、インフィニティシリーズ初心者の、ギャルゲーなんてやったことないと言う人にこそプレイしてもらいたいし、彼らの方が、素直に楽しめるのではないかと思っている。

ストーリーが説明不足で、良く分からない部分があるとする意見は、強く同意する。まず、12RIVENは本格ミステリではない。

死んだ者が蘇る「生ける屍の死」や、主人公がループする「七回死んだ男」のような、超常現象が起こるミステリも本格とされているので、A世界の存在やψによる異能バトルが展開する12RIVENも本格になり得る可能性を持っていたが、タンゴがオメガであると言う事実が唐突に思えたり、グランティス及びインテグラル・タワー最上階のシーンに対して、二日続けて二度も酷似した場が構成されるなんて幾らなんでも有り得ないことから、本格には至らなかった。志村クラブとミラージュの闘争前に銃を持ち出すタンゴを見てオメガだと推理するのはほぼ不可能なことや、幾ら超常現象が起こる世界でも、場所は違えど屋上で二度も同じような事件が起こる意味が分からない、もしくは必然的にそうなるためのルールが示されていないことから、12RIVENにおいて、作者とプレイヤーはフェアではないことが分かる。

そして、伏線が上手く張られていないことや、説明不足と言うよりも、大掛かりな叙述トリックをやりたいがために、無理矢理話を作っているように感じる。実際に継ぎ接ぎのあちこちで歪みが出来ていて、謎が解明された後に、又新たに「制作者が意図しない疑問」がプレイヤー側に発生する。

でも、正直そんなことは取るに足らない、どうでもいい問題だと俺は思っている。ひぐらしのなく頃にもフェアでは無く、解答編は割りと超展開だったが、ひぐらしは大変好評だ。何故か。「ミステリ要素以外にも大きな魅力があったから」、これに尽きると思う。ひぐらしが好きな人達が、12RIVENをどう評価するのかが個人的に気になるところだ。絵も両者共下手だと言われているし。

何れにせよ、ひぐらしと同様に、12RIVENも物語や世界観の説明不足を補って余りある程の利点がある。オリジナリティがある。だからこそ、些か大仰な記事を書いた。



では、何処に力点があるのか。俺は「運命」や「純愛」に見出した。これをテーマに12RIVENについて述べているブログは見つからなかった。そもそも、こんなクサい二文字について語ることの方が異常なんだが、何時も「家族」とか「愛」とか持ち出している変態な俺だからこそ、切り込んでいきたい。

12RIVENをプレイしていて、俺は2箇所で泣いている。それ以外のシーンは、全く泣いていないし、特筆に価することは無かった。だが、その2箇所があったからこそ、前回の記事を書くことに決めた。その2箇所とは何処なのか、クリア済みの人ならもしかしたら分かるかもしれないが、先に12RIVENの随所にある叙述トリックを含めた各トリックについて述べておきたい。

12RIVENをプレイするに当たって、俺は前情報(特にストーリーや登場人物)を極力減らしてきた。読んだのは声優のインタビューくらいで、公式サイトは実はちゃんと読んでいない。説明書に至っては皆無だ。打越鋼太郎のことだから、大掛かりな仕掛けがあることは分かっていたので、純粋にびっくりしたかったためである。

だが、そのような体勢で臨んだにも関わらず、終盤までびっくり仰天するなんてことは一切無かった。苗字しかない、もしくは名前しかないことや、容姿から見て、明らかに大手町は慎久郎だし、同じく容姿や瞳の色、真稲と言う苗字から、鳴海とマイナが同一人物であると言うことは容易に分かる。錬丸にメールアドレスを聞くシーンから、マイナが錬丸にメールを送ったのだということも直ぐ気づく。霧寺が敵ではないこと、更に鳴海と霧寺とミュウが兄弟であることは、想像の範囲内での出来事だ。このように挙げていったら枚挙に遑がない程、簡単に謎が予測できるようになっている。

上記の謎を含めた、12RIVENにばら撒かれている各々の謎(A世界と現世界、日付、ψの能力、真琴の自殺、12分間、エクリプシー、第弐エクリプス計画云々)は、「錬丸とミュウ」の二人の関係に直接結び付くことは無かった。それよりも重要で、尚且つプレイヤーにとっての一番の関心である「錬丸とミュウ」の関係は、何時も謎とは程遠い場所にあった。

鳴海も主人公だが、やはり12RIVENの主人公は錬丸で、その錬丸の目的は、「ミュウを守ること」の唯一点のみである。それが間接的には第弐エクリプス計画を阻止することにも繋がるのだが、錬丸(プレイヤー)にとってはそんなことは些細なことだ。ややもすれば、プレイヤーが第弐エクリプス計画に賛同し勝ちだからだ。「リミナリティは正しい、確かに世界は狂っている」とか。だが、「ミュウを何とか守りたい」と言う気持ちは揺るがない。

さて、上述したシーンの解説に入ると、まず一つ目のシーンは、「青い髪のミュウが、錬丸の前に現れる」シーンだ。これでは狭窄過ぎるので、もう少し敷衍すると、セピア調で描かれていた錬丸とミュウの過去の思い出がカラーで連続して表示され、ミュウとチサトの入れ替わりが判明し、消えたミュウが再び錬丸の許に現れ、薬指に嵌めた指輪を見せる一連のシーンである。このシーンで俺は「泣いた」訳だけど、それは何故か。

ミュウとチサトの入れ替わりが判明したことによって、それに関連した様々な情報が想起されるからだ。その中には、鳴海ルートで登場した「ミュウ」の立ち絵や性格に違和感を感じたこと、錬丸ルートでミュウに時折起こる頭痛の意味といった疑問が含まれており、それらの疑問が全て氷解すると同時に、「インテグラル」の最上階でチサトではなく「ミュウが」「霧寺に」撃たれて入院し、結果死んでしまうと言う悲劇が起こることも暗示し、序盤で、治療中の「チサト」の指に嵌まっている指輪を見て、大手町が発した台詞も思い出されるのだ。

彼女には、将来を約束しあった相手がいる。まあ若いから、正式なもんではないだろうが……

これらの蓄積されていた大量の情報が、瞬時に頭を駆け巡る。それは宛ら、「識閾下」から「自我」に向けて大量に送られてくる情報であり、テレビに映る12RIVENの映像(一連のシーン)は、映像シークエンス「ディビジョン」の役目を担っているようだ。

纏めると、一連のシーンを見ると同時に、ミュウが「インテグラル」で「霧寺に」撃たれること、錬丸に薬指に嵌めた指輪を見せたあのときから今までずっと「将来を約束した指輪」を嵌めていたこと、そして、やがてミュウは死ぬこと…が、想起し、理解され、「謎」が解明されると同時に、「隠されていた愛」、そして「悲劇」が表面化する。「将来を約束した指輪」はメタファーであり、「不変」の想いを示している。

二つ目のシーンは、「“オメガ”が錬丸だと判明する」シーンだ。俺は「オメガ」がラスボスに違いないと考えていたので大変喫驚したけれども(この推測は強ち外れてはいないが)、それと同時に、やはり「泣いた」。このシーンでも、「錬丸」と「オメガ」が戦うシーンが「ディビジョン」の役割を果たし、それによって大量の情報が「識閾下」から「自我」に送信される。その内容は、端的に書くと「鳴海ルートの全て」であり、細かく見ていくと、「チサト」の治療室に飛び込む「オメガ」、その「オメガ」を見て言った大手町の言葉、愛する人を忘れ、その人を姉弟だと記憶の上書きをされてしまう「オメガ」、そして、愛した人をその人だと気づかないまま、だが姉弟として「チサト」の死期を看取る「オメガ」…。もちろん、「オメガ」は「錬丸」であり、「チサト」は「ミュウ」であるので、そのように名前を入れ替えて頂きたい。

「将来を約束しあった相手」……だったりな

前述したシーンと同様に、謎が解明されると同時に見えてくるのは残酷な結末であり、悲劇だ。冒頭の、「オメガ」が治療室に押し入り、大声を上げた、あの伏線が、まさかこのような形で回収されるなんてと驚くと同時に、あのシーンの「意味」に気づき、悲しくなる。大手町が独り言ちたあの台詞が、実は真実を語っていたことに驚き、愛する人を姉だと思い込むと言う余りにも悲痛で滑稽な思い違いをしながらも、最期まで(永遠に)「チサト」と一緒にいると言う約束を果たした、余りにも懸命な「オメガ」を思い出し、涙する。そして、結局「ミュウを救うことが出来なかった」ことが分かり、プレイヤーは歯噛みする。

この二つの叙述トリックは、種々のトリックとは一線を隠している。トリックに二重に含意する「謎」と「愛」の構造は卓抜しているし、プレイヤーの最大の関心である「錬丸とミュウ」に大掛かりな叙述トリックを持ってくることによって、二人の差別化も図っている。そして、「ミュウを守ること」が錬丸及びプレイヤーの目的だったが、思わぬところで結末を知ってしまう。

このように、Ever17が叙述トリックを最大限に活用したゲームだったならば、12RIVENは叙述トリックに二重の意味を持たせた作品だと言える。Ever17の叙述トリックを見て、驚きはしたが悲しくなることはないだろう。叙述トリックが解明されることによって愛が表面化すると言うこの二段構えは、正に二枚の絵(ドクロと女性)が含蓄するトリックアート「ALL IS VANITY」と同じ構造だ。ここに、俺は12RIVENの精髄を見出す。逆説的に言えば、ミュウが嫌いな人、「ミュウとチサトの入れ替わり」や、「錬丸とオメガの入れ替わり」に早い段階で気づいた人は、12RIVENの評価をぐっと下げるだろう。



毀誉褒貶あるだろうが、俺は面白かったし、大変感動した。「一枚絵が駄目だ」とか、「物語に穴がある」と言った批判は確かなことだけれども、俺は気にしないし、「多くの人」も気にしないだろうと思っている。それらを論拠にして批判するのは間違いではないだろうが、12RIVENの美点や感動は他にあると思う。その他のギャルゲーと比較した普遍的な評価だけで、12RIVENの価値を決めてしまうのは勿体無いし、「多くの人」にとって、時間を割いてプレイするに値する作品であり、プレイした結果12RIVENは最高の作品になる筈だ。
by.greatpeak URL ...2008年03月22日 01:02

>寧ろ逆に、インフィニティシリーズ初心者の、ギャルゲーなんてやったことないと言う人にこそプレイしてもらいたいし、彼らの方が、素直に楽しめるのではないかと思っている。

この辺凄く同意です
過去作をやっていない人がどんな感想を持つのかに凄く興味があります

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