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2008年03月13日 01:12

神霊狩/GHOST HOUND 1
神霊狩/GHOST HOUND 1
時間があるときに少しずつ見ているのだが、大変に秀逸である。

監督はserial experiments lainの中村隆太郎、脚本は同じくserial experiments lainの小中千昭、原作は攻殻機動隊の士郎正宗、制作はProduction I.Gという豪華な顔ぶれだ。



GHOST HOUNDには「秀逸」という言葉を使っているが、他のアニメにも「面白い」だの「素晴らしい」だの「エロい」だので、結局どのアニメが一番なのか。俺は記事を書いた作品以外にも見ているのはあるけれど、今回は、あゆ級内で取り上げ、且つ今放送中のアニメを私的にランク付けしてみる。尚、現時点でのランクであって、後で幾らでも変動する。下記のランクは降順で、一番上がそのまま一番面白い。

機動戦士ガンダム00
神霊狩/GHOST HOUND
true tears
CLANNAD
Mnemosyne −ムネモシュネの娘たち−
シゴフミ

この表を見れば、俺が相当GHOST HOUNDを楽しんで見ていることが分かってもらえると思う。



監督と脚本がserial experiments lainと同じなので、必然的にlainと比べることになるが、過去のトラウマを題材にしているにも関わらず、lainと違ってコミカルで、途中可笑しくて笑ってしまうようなシーンもある。lainの主人公岩倉玲音は14歳で、GHOST HOUNDの主人公古森太郎も14歳だが、太郎は14歳とは思えない程純粋で裏表が無く、誰にでも分け隔てなく接する。この太郎の性格が、暗くなりがちな世界に明かりを灯してくれる。

主役級の三人、太郎、大神信、中嶋匡幸の三人は、各々がトラウマを抱えていて、過去の誘拐事件を基に行動を共にするようになるが、まずこの三人の組み合わせからして面白い。どう見ても性格が合いそうにない三人なのに、重度のトラウマを抱えているという唯一点のみを頼りに繋がっている。匡幸と星野道男は途中から友達になるが、道男が主役級になれないのは単純にトラウマが無いからだと言える。同じ土俵に立たないと分かり合えないものがあって、true tearsの記事にも書いたように、子供にとっては大人以上に、自分と相手が同じ条件を持っていることが重要視されるのかもしれない。

14歳と言う年齢は大変多感な時期で、中学1年(13歳)の頃は慣れない中学校生活に唯振り回されていて、中学3年(15歳)の場合は受験勉強一色になって他人どころではなくなるのだが、中学2年(14歳)は、学校にも慣れてきてマンネリズムに陥り、思春期故に周囲に対して過剰適応し勝ちになる。相手の好意は、「媚びやがって」と裏目に出る。

このような14歳と言う年齢をGHOST HOUNDは主要登場人物達に設定している訳だが、水天町の持つ大自然と、そこで育まれた子供達という設定によって、完全に相殺されているのが興味深い。水天町の壮大な山々に代表されるGHOST HOUNDの世界観は、リアルワールドに背中合わせで存在する厖大なネット空間ワイヤードを舞台にして、1998年当時では電子機器、インターネットの最前線を行っていたlainとは対極にある。



この田舎を舞台にしたGHOST HOUNDにおいて極めて異彩を放っているのが匡幸だ。彼は東京から引っ越してきたばかりで、髪は茶髪、性格は軽いが高所恐怖症でやや臆病、周りが皆方言を喋っているのに一人標準語で会話する。彼の存在が面白いのは、緑豊かだが田舎故に閉鎖的な雰囲気になり勝ちな水天町を相手に、毒を以て毒を制すが如く、水天町のダークサイドにずかずかと切り込んでいくところである。又彼は、水天町に起こる超常現象に対する反応を見る限り、僕達私達の感覚に一番近く、ズレを修正してくれる役割も担っている。ズレについては過去に記述したので、それを参考にされたい。


俺ぇ、東京から転校してきたんで、よく知んないんだけどさぁ、田舎だからって、ベタに上級生が後輩にいじめとかしてないよねぇ、とか

9話で、上級生にいじめられそうになっている道男を助けるために、匡幸が上級生に発した台詞である。このシーンと、直前の匡幸が友達の道男を助けようと決意する部分だけで、俺の中でGHOST HOUND9話はシゴフミ6話に圧勝した。本音とか建前とか色々あるけれど、いじめに関してはいじめた奴が絶対的に悪く、いじめられている奴を体を張って止めるのが格好良いということを、漫画やアニメ等の現実に対しての虚構作品でやらなくなったら御仕舞いだと俺は思う。現実において実際にいじめを止める奴がいようがいまいが、作品の中では、断固として正しい態度を見せる。俺は漫画やアニメにそうあって欲しいと願っている。



前述したように、GHOST HOUNDは暗い設定の中にも随所にコミカルなシーンが挿入されていて、視聴者に優しい物語になっている。

10話で魂抜けした匡幸がコンビニにいた兄ちゃんに「よぉ!」と挨拶する場面が代表的だが、俺はそれ以外にも、9話でトラックに何度も撥ねられに行く黒い幽霊や、12話で平田篤司がホラー映画宜しく奇妙な女の子の幽霊を目撃するシーンを見ていると、そこに怖いと言う感情は無く、代わりに笑いが込み上げてきた。もしかしたらこれは俺だけかもしれないけれど、予想され得る出来事に対して、余りにも「お約束」が起こるので、矢面に立たされている登場人物達とは反対に心の準備が出来ている分、「ああ、やっぱり」と冷静に処理できるし、その予測不可能な出来事(僕達私達は予測可能な出来事)に遭遇して取り乱している登場人物達を見ていると凄く笑える。

随所に中村隆太郎らしい作風は見られるが、lainよりはずっと優しい(易しい)作品だ。



12話について見ていくと、

ホメオスタシス、という言葉があります。恒常性維持機能という意味です。
(中略)
古森君たちは、そうしたホメオスタシスの呪縛から、自由になっているような印象を受けます

と中盤で、平田は魂抜けについて考察する。

太郎が、魂抜けをしだしてから過去のトラウマを含めた夢を見ることが無くなってきたと平田に語っていることから分かるように、魂抜けという行為は、内在する自己のトラウマからの超越(克服)という役割を果たす。そう考えると、太郎達三人が魂抜けの術を獲得したのは、過去のトラウマを払拭するために編み出された必然的な対応策ということになるのだが、そう単純に考えていいのだろうか。興味は尽きない。

香取慎吾主演のドラマ透明人間のときにも同じようなことを感じたが、今回のGHOST HOUNDでも全く同じことを感じて、それは、何故、太郎達は、魂抜けして、女湯に行かないんだー!という熱く煮えたぎる想いである。新桃太郎伝説では、透明人間の術(名前忘れた)を使ったら、取り敢えず女湯に行くという、半ば暗黙の了解が築かれていたのに、その自然の摂理を何故GHOST HOUNDの三人は頭の中に掠めもしないのだ。幾ら純粋な14歳少年でもやりすぎだー。でも、そういう同人誌はありそうだな…。

終盤の負んぶについて少し語っておくと、太郎良く頑張ったなと褒めてあげたい。俺も小学生のときは負んぶしたり、逆に人に乗ったりしたものだけど、負んぶしたまま階段上るのは大変酷な事で、重いって言うのももちろんあるけど、階段の勾配と負んぶによる前屈みで、凄い歩き難いんだよね。経験談だが、負んぶしてもらってる(乗ってる)まま階段下りられると、自分の足で歩くのではなく人の足に頼るのと、見慣れない視界の誤差も相俟って、結構怖かった思い出がある。



専門用語が沢山出てくるが、その中でPTSDぐらいしか知らない俺でも大変面白いし勉強になる。これからもちょっとずつ見ていきたいアニメである。

それにしても、都可愛いなあ。小学生と言う設定が堪らなく俺をハッピーにさせる。

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