2008年03月11日 01:14
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| true tears vol.2 |
9話で比呂美を守ることを決断した眞一郎は、10話ラストで比呂美の乗るトラックを自転車で追い掛ける。
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この譬喩の意味を敢えて書くと、「僕はもう君を泣かせない」だ。「いまここ」で涙を流す比呂美を追い掛け、眞一郎は自らの意思を伝える。大変興味深いのは、涙を拭おうと思って眞一郎は登場したのに、逆に比呂美がもっと泣いてしまったことだ。でも、この涙は悲しいときに流す涙とは質が違う、綺麗な涙となっている。君の涙を、僕は拭いたいと思う
前のカットでは眞一郎は後頭で手を組んで部屋で座ってたのに、次のカットで豪快にチャリンコ漕ぎ出すのは、何か唐突だなあとか、雪後に全力疾走して、案の定カーブで転けたりするのを見ると、命懸けの告白だなあとか、そう思ってたら比呂美も転けるのかよとそこで突っ込んだりとか、そのままラリアットを噛ましたのを見て爆笑したりもするけれど、この一連の流れは、御愛嬌ということで大いにニヤニヤしよう。
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雪が降り積もり、文字が埋もれていくのに比例して、眞一郎との距離が遠くなる。永遠に続いていく「好き」の契約を担っていた「のえがすきだ」の文字が消えるということは、即ちその効力の消滅を表し、期限切れだと言わんばかりに乃絵から比呂美へ眞一郎は心を移す。どんどん埋もれてく。どんどん、どんどん。私に捧げてくれた、眞一郎の「好き」が
一方野伏は、言葉による「好き」の契約をしていたが、とっくに時効が来てしまった契約の後始末をするために、乃絵に呪いを掛けてもらう。それは、乃絵にとっても、野伏にとっても、予定していなかった結末だった。
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野伏を振り、野伏も乃絵の呪いの力を借りて何とかそれを承諾したことについて、愛子は乃絵の助力に御礼を言う。
構図としては、野伏から巣立ちをして自由になりたかった愛子を、野伏が愛という幻想を用いて縛り付けていたのが、ようやく10話で解放されたと。でもこれって正しいのか。ありがとう、って言うべきかなぁ。あなたの呪いのおかげで、三代吉が、あたしを解放してくれたから
true tearsの最初の記事で俺は、愛子をピエロ的存在と書いた。野伏という存在がいるにもかかわらず、その存在に真に気づいていないから、空回りして眞一郎に向かっているのだと。俺にとっての愛子の物語の結末の理想は、野伏からの巣立ちや眞一郎からの卒業をしてもしなくても、最終的に「気づき」を愛子が得てくれることだった。
それが、このままだと嫌な女のまま終了なのではないだろうか。その気が無いのに野伏と付き合い、生殺しのまま野伏を弄び、挙句野伏を振り、「やっぱり野伏じゃなくて眞一郎よね」とか寝言を言って今度は自分が振られちゃったかと思えば、急に爽やかに「眞一郎を卒業する」とか言っちゃうような、支離滅裂な女という設定なんだけど、果たしてこれでいいの。俺には愛子萌えの人の気持ちが良く分からない。
俺が見る限り愛子は、野伏といる退屈な時間を打破したいがために眞一郎に行っているように見える。つまり、眞一郎への恋愛感情は、野伏と間が持たないが故に自ら生み出した幻想ということだ。そんなことないよ、だって愛子は野伏と付き合う前から眞一郎のことが好きだったもん!とかいう反論があるかもしれないけども、そんなの野伏と付き合ってる内に本当に野伏を好きになっていくっていう可能性は幾らでもある訳で、眞一郎のことを昔から好きだった云々は余り関係が無いように思う。まさか死ぬまで眞一郎に執着している訳でもあるまいし。端的に書くと、野伏のどこが気に入らないのか教えてくれ!愛ちゃん!
兎にも角にも、愛子は眞一郎から「卒業」した。
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一方乃絵は、
眞一郎と過ごす時間、眞一郎への抑止を終わらせることを誓う。9話で眞一郎にエールを送ったものの、まだ乃絵は完全に眞一郎から「卒業」出来た訳ではなく、踊りの練習風景を最後に眞一郎を自由に羽ばたかせようとする。当初眞一郎をコントロール可能な存在として見做していたが(子に対する母)、恋愛感情を抱いてしまった乃絵は眞一郎の行動に対し一喜一憂し始める。(男に対する女)やがて眞一郎は巣立ちを迎えるが、その巣とは、乃絵ではなく比呂美であることに気づく。その帰結として、乃絵は比呂美に託し、自身は眞一郎から卒業することを心に決めるのである。おばあちゃん、もう一度だけ。これが、最後にするから
「…私に使っている」と続くのだろう。呪いとは、もちろん野伏に使った「誰も好きにならない呪い」だ。眞一郎を好きにならなければ、こんなにも苦しむことは無いのにという気持ちが如実に反映されている。巣立ちを肯定していたのに、あるときから否定してしまっているこの矛盾を常に抱え、自分の中の眞一郎が好きだという感情が、眞一郎を縛り付けて自由にしていないことを誰よりも自覚している。この苦悶に決着を付けるのは容易ではないが、一応これで、乃絵も眞一郎から「卒業」した。呪いなんて、あるわけないわ。そんなものがあったら、私が
全くキャラクターの違う愛子と乃絵は、共に比呂美という隘路によって理想を妨げられ、結果自身が一歩退くことを決意して、10話で卒業するという全く同じ道を辿っている。このように見ると、比呂美最強だなと思う。
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俺は個人的に、眞一郎と比呂美の過去の話が大好きだ。
子供の頃に二人は、お祭で手を繋いで、片足は下駄、もう片方は裸足で歩いた共通の体験を持っている。この話が素敵なのは、下駄の片方を無くした比呂美を見つけた少年時代の眞一郎が、比呂美を悲しませないために態と自身の片側の下駄を脱ぎ去ってしまったことだ。大人の僕達私達は比呂美に対して色々な慰め方を思い付くが、眞一郎の優しさに勝る方法は編み出せないだろう。
例えば、脱いだ片方の下駄をそのまま持ち歩かないで、比呂美に履かせれば良いという安直な考え方は、下駄の大きさが合わないだろうから多分無理だし、もし合ったとしても同じ下駄でも種類が違うので、履き心地の悪さを感じる。じゃあ、眞一郎は両足脱いで裸足で歩いて、比呂美に眞一郎の下駄を履かせれば、大きさは多少大きくても良いんじゃないという考え方もあるが、恐らく、比呂美が眞一郎に迷惑が掛かるからという理由で嫌がるだろう。でも、眞一郎がぶっきら棒な少年だったらそうしたかもしれない。
しかし、眞一郎少年は繊細だった。彼は、比呂美と一緒になって、同じ条件で歩くという方法を選んだ。一緒に片足で歩くことによって痛みが二分され、災難どころか、二人で秘密を共有しているような、そこには二人だけの空間が出来ているような、連帯感、安堵感ができた。泣いている女の子に対して取る行動が、自分も同じ状況に立ってあげるというこの発想。その、一人じゃないんだという意識は、手を繋ぐという行為によって更に強化される。大人の視点からでは決して考え付かないもので、子供ならではの純真無垢な発想だと思うし、とても素敵だ。
制作スタッフの誰の発案か分からないけれど(西村純二?)、その方は大変良い仕事をした。俺にとってtrue tearsで一番好きなシーンかもしれない。
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眞一郎が比呂美に遂に告白して、そこでハッピーエンドで終わらないのがtrue tearsで、眞一郎の告白の音声に合わせて比呂美の顔のアップが映った後、愛子と乃絵のダークサイドが挿入される。通常なら、「君の涙を拭った」証として、比呂美の笑顔で幕を閉じる筈だが、恋に破れた二人に焦点を切り替えている。
そして、11話の予告で判明する次回のサブタイトルは「あなたが好きなのは私じゃない」だった。11話で乃絵が来るのか愛子が来るのかは分からないが、確実に、もう一波乱あるだろう。
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