2008年03月07日 23:56
さて、アニメ版の春原は春原萌えの俺が驚く程の万能キャラっぷりを発揮し、良く動き回る元気の良いキャラになっている訳だが、お笑い担当になってしまっている感が否めない。そこで、20話にしてようやく隠れた知恵袋、良き助言者春原の本領発揮、面目躍如という訳である。
だが、俺は20話の春原の発言に違和感を持った。形容できない違和感だったので、そのためだけにPS2版CLANNADを立ち上げ、渚ルートの途中、春原の発言部分までスキップしてみた。以下は、アニメ版CLANNADの春原の発言と、原作CLANNADの春原の発言の引用である。
春原「ピクニックね。確かに柄じゃないって言えば柄じゃないねぇ」
朋也「だろ。俺がいたんじゃ、家族団欒に水をさすだろうからな」
春原「でもこんなことしたら、渚ちゃんショック受けるんじゃないの?」
朋也「ちゃんと書き置きしてきたよ。用事ができたから、三人で行ってくれって」
春原「渚ちゃんのことだから、いろいろ気を回して心配すると思うけどねぇ。わたしの家は居心地が悪いんじゃないか、とかさ」
朋也「そんなこと思わないだろ。ピクニック行かないくらいで」
春原「渚ちゃんはいつだっていろんなことに自信が無い。不安がってる。僕にはそう見えるけどねぇ」
朋也「こないだ、自分に自信が付いてきたって言ってたぞ」
春原「それっておまえがいるからでしょ。おまえが背中を押したり、叱ってくれたりするから、いろんなことに挑戦できるし、自信も付く」
朋也「良いことじゃないか」
春原「だからさぁ、そこだよそこ。いいか、良く考えてみ。自信が付いたのはおまえのおかげ。じゃあそのおまえにそっぽ向かれたら、今まで築いてきた自信はどうなっちゃうわけ?渚ちゃんは自分がおまえにどう思われてるかいまいちわからない。おまえのはっきりしない態度が、渚ちゃんを苦しめてるんだよ。自分の家から逃げ出して、渚ちゃんの家からも逃げ出して、それでここに来られても迷惑ッス。
ま、どうしても嫌だって言うなら、僕がおまえの代わりにピクニックに行くよ」(アニメ版CLANNAD20話■秘められた過去)
朋也「ただ、逃げてきただけだよ。家族愛に当てられそうになってな」
春原「家族愛?」
朋也「ピクニックだってよ。家族でもないのに俺もメンバーに入れられてた」
春原「そりゃ渚ちゃんの彼氏だからだろ?」
朋也「いや、まだ両親にはばれてないと思うけど」
春原「ま、仲が良ければ同じことだろ。でも、んなことしたら、渚ちゃん、ショック受けるんじゃないの?」
朋也「ちゃんと書き置きしてきたよ。用事できたから、みんなで行ってくれってさ」
春原「だとしても、だよ。自分のこと避けてるんじゃないかって、渚ちゃん、思うんじゃない?」
朋也「そんなの今更だろ。俺のことはあいつだって、よくわかってるよ」
春原「そうかねぇ…それ、おまえの自惚れなんじゃない?」
朋也「俺は、おまえのひがみに聞こえるぞ」
春原「いや、違うね。渚ちゃんは、いつだって不安に思ってるんだよ。自信がないんだよ。僕にはそう見えるけどねぇ」
朋也「違う。俺のおかげで、いろんなことに自信が持ててきたって、そう言ってくれてるんだぞ」
春原「だからだろ?」
朋也「何が言いたいんだよ…」
春原「いろんなことに自信がついてきたのは、おまえのおかげ。おまえがいてくれるからなんだろ?じゃあ、そいつがいなくなったら、どうなるんだよ。いくら、いろんなことに自信がつこうがさ…。おまえがいつまで自分のことを好きでいてくれるか…。そのことだけには永遠に自信が持てないってことだよ。僕にはこれ以上わかりやすい説明は無理だね。けど、今の言いたいことがおまえにわからなかったら、おまえら長くねぇよ」(原作CLANNAD)
両者の春原の発言は似て非なるものである。以下の引用では、上部にアニメ版CLANNAD、下部に原作CLANNADを配置することにする。春原の発言で最初に気になったのが
この対応する二節で、両者は一見言っている意味が同じように見えるが、内実全然違う。渚ちゃんはいつだっていろんなことに自信が無い。不安がってる。僕にはそう見えるけどねぇ
いや、違うね。渚ちゃんは、いつだって不安に思ってるんだよ。自信がないんだよ。僕にはそう見えるけどねぇ
前者は、渚は「自分のこと」に自信が無いのだと春原は言う。つまり、傍から見れば可愛く可憐で純粋な女の子なのに、渚は異常な程自身を卑下していると春原は喝破する。だが、後者は、渚は「朋也が自分のことを好きなのかどうか」に自信が無く、不安に思っていると春原は言う。CLANNADの大きなテーマである、「変わる」ことを恐れているのだ。朋也は今は好きだと言ってくれるが、何時か愛想が尽きて自分のことを嫌いになってしまうのではないか、と。
もっと考察を深めていくために、少し前の発言に戻ろう。
これもアニメ版CLANNADと原作CLANNADの春原の対応する台詞だが、こちらの台詞は両者とも、朋也が渚と一緒にいることによって不快を覚えることを心配している。渚ちゃんのことだから、いろいろ気を回して心配すると思うけどねぇ。わたしの家は居心地が悪いんじゃないか、とかさ
だとしても、だよ。自分のこと避けてるんじゃないかって、渚ちゃん、思うんじゃない?
だが、こちらも両者は似ているがその実違っていて、前者の気を回すという表現は、言い換えれば朋也に対して過剰適応していると言え、朋也に嫌われることを極端に恐れている。それは、朋也に嫌われたら「自分が」傷つくという理由で守りに入る行動で、歯に衣着せぬ言い方をすれば、自分が大切だから、好きだから、朋也に嫌われたくない。しかし、後者は単純に、「朋也のことが」好きだからだ。それ以外の何物も、どんな感情も抱いていない。攻めでも守りでもない、損得を超越した境地にいるのだ。それを、人は愛と呼ぶのかもしれない。
この説を裏付けるために、最後の春原の発言を考えてみよう。
さて、前者と後者に一致しているのは、渚の自信が付いたのは朋也の御蔭だと言うくだりである。バスケの選手という「目標」を諦めた朋也は、その代わりに、渚と出会ってから今まで、渚の演劇部再建を手伝うことに自分の「目標」を見出してきた。一方、渚は朋也と二人三脚で演劇部を再建していくことが、何度も諦めようとした「目標」への歩一歩であり、逆境に対して断念しなければ自分でも「夢、目標」を叶えられるのだということで自信を付けていく。だからさぁ、そこだよそこ。いいか、良く考えてみ。自信が付いたのはおまえのおかげ。じゃあそのおまえにそっぽ向かれたら、今まで築いてきた自信はどうなっちゃうわけ?渚ちゃんは自分がおまえにどう思われてるかいまいちわからない。おまえのはっきりしない態度が、渚ちゃんを苦しめてるんだよ。自分の家から逃げ出して、渚ちゃんの家からも逃げ出して、それでここに来られても迷惑ッス。ま、どうしても嫌だって言うなら、僕がおまえの代わりにピクニックに行くよ
いろんなことに自信がついてきたのは、おまえのおかげ。おまえがいてくれるからなんだろ?じゃあ、そいつがいなくなったら、どうなるんだよ。いくら、いろんなことに自信がつこうがさ…。おまえがいつまで自分のことを好きでいてくれるか…。そのことだけには永遠に自信が持てないってことだよ。僕にはこれ以上わかりやすい説明は無理だね。けど、今の言いたいことがおまえにわからなかったら、おまえら長くねぇよ
ここまではいいが、両者はこの後完全に食い違う。
前者は、渚がやっと自信が付いてきた今の状況にも関わらず、もし朋也がいなくなってしまったらまた自信が消失してしまう、それでは困る、という発想になっている。だから、朋也に嫌われないように気を回すし、不安がる。自信が付いてきたのに、その突然の霧散を恐れる。つまり、利己的行動である。
それに対して後者は、朋也がいなくなったら確かに自信は再度無くなるかもしれない。だが、自信とか、もしかしたら演劇部再建すらも、言ってしまえばどうでもよく、それよりも朋也に傍にいて欲しいと渚は願っている、と春原は慧眼で渚の気持ちの代弁をする。朋也が自分の前から消えてしまったら、いくら自信があってもそんな世界に意味は無く、それ故に朋也がいない世界を極端に恐れるのだ。確かに夢を掴んでいく過程で自信も付いてきたが、朋也が自分を何時までも好きでいてくれるかどうかについては、永遠に自信が持てない。わたしに出来ることは、「変わらない」ことを祈ることだけだ…と。つまり、こちらも利己的である。
だが、前者は渚自身にベクトルが向いているのに対し、後者は愛にベクトルが向いているのだ、と言っても過言ではないだろう。
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僕達私達は、渚が本当は誰よりも心が強いことを知っている。俺がそのことを強く認識したのは、アフターストーリーの朋也と直幸の軋轢に対して渚が取った行動だが、その解説はまた別の機会に譲るとして、一番身近なのはやはり、留年しながらも学校に通い、朋也の力を借りているにせよ演劇部の再建を目指し、更に病弱でありながらも絶対に高校を卒業するという、渚の揺るぎ無い意思だ。自分以外のクラスメイト全員が卒業し、すっかり環境が「変わって」しまったことで、色々と辛い思いもあるだろう、留年した変わった人だと見られることもあるだろう、両親は自営業だから高校を無理に卒業しなくても良いと言ったかもしれない、それでも、渚は何時かくる卒業に向けて毎日学校に通う。
俺にはアニメ版春原の発言は、朋也が渚から離れてしまったら、深い絶望の淵に突き落とされてしまうから(もしかしたら自殺も視野に入れて)、朋也に渚の面倒を見ろ、と端的に書くと強要しているような印象を受けた。一つの確かなこととして、坂の下で勇気付けてくれた、あの朋也が渚の許を離れてしまえば、渚は傷つくし、泣くだろう。だが、同時に渚の芯の強さを知っている僕達私達は、どれだけ一時絶望しようとも、渚ならどうにかしてやっていけるだろうという確信もまた、あるのだ。
まとめると、京アニの描く春原と、Keyの描く春原は違い、更に京アニの思う渚と、Keyの思う渚は違う。そのどちらが良いと感じるかは僕達私達の好みの問題だが、俺の思いを敢えて書くならば、原作改悪すんな、と言ったところか。
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最後のピクニック元い野球は中々良かったが、原作をリプレイしてみた今では、不満も多少ある。何故、ナゼ、朋也と渚の「手を離した方が負け」ルールの見てるこっちが恥ずかしくなるラブラブシーンをやらないのかと。(分からない人は原作を是非!)俺の趣味の話だけではなくて、あのシーンは意外に重要で、アフターストーリーの伏線にもなっているので、本気で入れて欲しかった。
補足しておくと、原作CLANNADとアニメ版CLANNADの上記の比較は時間軸では一緒だが、決定的に違っている点が一つあって、それは渚と朋也が恋人同士か、否かだ。原作ではあの時点で既に恋人同士で、朋也の呼称も「朋也くん」となっているが、アニメ版では未だに「岡崎さん」だ。多少間然もしたが、アニメ版ではまだ恋人同士でないという謎の現象が、ネックになっている感は否めない。
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(アニメ感想) CLANNAD -クラナド- 第20話 「秘められた過去」
CLANNAD 4 (初回限定版) 渚の過去に何があったのか?気になる朋也は、その周辺を詮索し始める。そして・・・。


