2008年03月01日 01:03
今回は原作を特に逸脱することもなく、アニメCLANNADの中では良質な回だったように感じる。ようやく渚ルートへと移行し、今回もCLANNAD最大のテーマである「家族」が主として描かれている。一見対立項に見える岡崎家と古河家の二つの家族を体験することによって、朋也が最終的に見出すものは何だろうか。
物語は佳境に入った。
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CLANNADは原作とアニメを両方プレイor視聴しているが、やはりどう視点を変えても宇野常寛の言うレイプファンタジー性は俺には感じられない。レイプファンタジーとは、普通の女と恋愛(セックス)できない非モテの男が、その言い訳や捌け口として虚弱体質な女と(半ば弱点を突くようにして)恋愛をするという説らしい。
そもそも、CLANNADの基盤は恋愛至上主義ではなくて、19話を見れば自明であるように「家族」が絶対的な柱として存在していて、それを支えるように「変わる」、「夢、目標」の二本柱が存在している。
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さて、この19話(特に中盤)では痛みが描かれている。
本来、進路について朋也の自主性を尊重した筈の放任主義に、「朋也くん」という呼称が加わることによって生じる隔絶感への痛み。直幸が発した「良い話し相手」という言葉は、朋也は直幸にとって唯一無二の存在であるということを告げているのに、朋也が受け取った「良い話し相手」は、自身が直幸にとって代替可能であるという誤解によって生じる擦れ違いへの痛み。古河家の一員になることによって、温かい優しさや交わされる挨拶を通して良き家族を体感すればするほど、反比例するようにして自身の家族への落差を感じてしまうことの痛み。この痛みは、僕達私達第三者の目で見て初めて分かる痛みである。では、僕達私達は朋也と何が違うのであろうか。
それは、直幸が朋也を愛していることを知っているか、否かである。この前提に気づいているから、僕達私達はこのヤマアラシのジレンマ的状況に対面したとき、身を切るような痛みを感じるのだ。このことに朋也が気づいた(気づきを得る)とき、二人の余りに大きく、余りに小さい溝は修復される。
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「俺はもう息子じゃないんだ」と呟く朋也が、自らの人生を全て朋也に賭して父一人で育ててきた直幸の反復を、渚の演劇部成功という目標達成を助ける朋也という形で無意識にしているというシンクロニシティに見えるのは、痛みと共に、消えることのない血の繋がりだ。
物語は佳境に入った。
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CLANNADは原作とアニメを両方プレイor視聴しているが、やはりどう視点を変えても宇野常寛の言うレイプファンタジー性は俺には感じられない。レイプファンタジーとは、普通の女と恋愛(セックス)できない非モテの男が、その言い訳や捌け口として虚弱体質な女と(半ば弱点を突くようにして)恋愛をするという説らしい。
そもそも、CLANNADの基盤は恋愛至上主義ではなくて、19話を見れば自明であるように「家族」が絶対的な柱として存在していて、それを支えるように「変わる」、「夢、目標」の二本柱が存在している。
以前のエントリで書いた引用だが、もしかしたら宇野常寛はCLANNADの「夢、目標」を、自身がギャルゲーに批判的であるが故に視野狭窄或いは歪曲させて、「レイプファンタジー」と見做しているのかもしれないと思った。俺も最初(アフターストーリー以前)はCLANNADに否定的だったから気持ちは分からなくもないけど、宇野は原作を未プレイなようなのでまだ結論を下すのは時期尚早というか、色眼鏡を掛けているようにしか見えない。嘗ては将来の希望に満ちたスポーツマンだったが、父直幸との軋轢により夢破れた(夢、目標を無くした)朋也は、嘗ての直幸(朋也を父一人で育て上げた)がそうだったように、他者(原作では各々のヒロイン、アニメ版では古河渚)の夢、目標達成を助けることが自分の夢、目標に変わる。自分の中に生きる希望を見出せない不器用な男が、岡崎朋也であり、岡崎直幸だ。(実は両者の立ち位置は全く同じ)
(中略)
他二つのテーマを簡単にまとめておく。一つは「家族」で、もはや説明不要であるが、これが一番の柱である。もう一つは「変わる」ということで、作中に何度も出てくるが、印象的な場面を挙げておくとやはり坂の下で渚が寂寥の思いで語った言葉であろう。(CLANNAD16話「3 on 3」)
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さて、この19話(特に中盤)では痛みが描かれている。
本来、進路について朋也の自主性を尊重した筈の放任主義に、「朋也くん」という呼称が加わることによって生じる隔絶感への痛み。直幸が発した「良い話し相手」という言葉は、朋也は直幸にとって唯一無二の存在であるということを告げているのに、朋也が受け取った「良い話し相手」は、自身が直幸にとって代替可能であるという誤解によって生じる擦れ違いへの痛み。古河家の一員になることによって、温かい優しさや交わされる挨拶を通して良き家族を体感すればするほど、反比例するようにして自身の家族への落差を感じてしまうことの痛み。この痛みは、僕達私達第三者の目で見て初めて分かる痛みである。では、僕達私達は朋也と何が違うのであろうか。
それは、直幸が朋也を愛していることを知っているか、否かである。この前提に気づいているから、僕達私達はこのヤマアラシのジレンマ的状況に対面したとき、身を切るような痛みを感じるのだ。このことに朋也が気づいた(気づきを得る)とき、二人の余りに大きく、余りに小さい溝は修復される。
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「俺はもう息子じゃないんだ」と呟く朋也が、自らの人生を全て朋也に賭して父一人で育ててきた直幸の反復を、渚の演劇部成功という目標達成を助ける朋也という形で無意識にしているというシンクロニシティに見えるのは、痛みと共に、消えることのない血の繋がりだ。
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